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Since20080111
Last up:2008.05.02  |
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人形町界隈には、「芸者新道」 「小菊通り」とも呼ばれる名裏小路があり、地元の人たちが「観音様」と呼ぶ大観音寺の脇に小粋な料理屋が何件か並び、夕暮れ時ともなると門灯に照らされた路地が実に風情を増します。
又、近くには安産・子宝の神様が祀られた水天宮や明治座・浜町公園から続く有名な甘酒横丁の通りは、江戸時代からの伝統工芸などの老舗店舗、味な老舗の店が多く連なっています。
日本橋「七福神めぐり」は全行程2時間程で、巡拝ルートは特になく、どこから参拝してもよく手頃なウォキングコースとして人気があります。
他に、せともの市・人形市・べったら市・てんてん祭など一年を通じて様々な行事が行われます。 |

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「建築の街・東京を開放する」
非公開となっている歴史的建造物これら
都心の24の建築物「建築遺産」を一挙に
公開するイベントが5月15日(木)から
3日間行われます
一連のイベントの中心は日本橋で
重要文化財に指定された、日本橋の
三井本館はじめ明石町の聖路加国際病院
等々 歴史的な建物に親しみを抱いてみては |

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「タイムドーム明石」
(郷土天文館)
中央区の歴史や文化の
常設展とプラネタリウムを
備えた施設です。
3月15日から春番組に変わりました |
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| ◆明治座 |
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明治座は、明治6年久松町で「喜昇座
」に始まり明治11年「久松座」と改称、
その後洋風建築の「千歳座」を経て明治26年「明治座」となった。
大正12年関東大震災、昭和20年東京大空襲などで焼失したが昭和25年12月に開場した。
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| ◆水天宮界隈 |
新大橋通りと人形町通りの交差点に面した「水天宮」は、久留米藩主有馬家が参勤交代の江戸詰の間に参詣するため
文政元年(1818)に久留米水天宮の分社として勧請したもの
江戸時代 神社で使った古い鈴紐を帯にしたところ安産だったという噂が立ったため江戸中から参詣客が詰め掛けた。
付近には、「御守最中」「ゼイタク煎餅」
「人形焼」「黄金芋」いずれも創業は明治・大正からという歴史をもつ老舗が多く、伝統的な お土産物が数多くある |

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○東京地下鉄日比谷線 人形町駅
○都営地下鉄浅草線 人形町駅
○東京地下鉄半蔵門線 水天宮駅
○都営地下鉄新宿線 浜町駅
リンク先は、地下鉄メトロ・東京都交通局のトップページになります。 |

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町の中心を横切る人形町通りから北東の浜町・明治座方面へと通じる小路が
「甘酒横丁」です。
戦火を逃れたために昔からの風情が残され看板に「創業数十年」という文字が見える店も多いこの通り、明治座が開かれた明治6年、この道の人形町通りに面した入口の南側に尾張屋という甘酒屋が繁盛していたために甘酒横丁と呼ばれる様になった。
当時、尾張屋の目印は、巨大な「おかめ」の看板が目印だったが、昭和28年頃に店は姿を消した。
人形町通りから浜町川を埋め立てた浜町緑道までの約300米は、明治座への参道だった。
甘酒横丁の界隈は依然として、風格のある下町であり商店街と周囲に広がる老舗の食べ物屋や飲み屋小路は今も尚、
ノスタルジィーあふれる横丁である。
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江戸時代初期には、遊郭で有名な吉原(元吉原)が人形町通り東側の辺りにあった
「大門通り」はその名残りである。
「明暦3年の大火(1657)」で辺り一帯が焼失したのを機に幕府の命で遊郭は浅草の奥の吉原に、芝居小屋は猿若町に移転された。
歌舞伎小屋の中村座と市村座があり
人形芝居の小屋では、薩摩浄瑠璃(薩摩座)人形芝居(結城座)も行われていた。一般には、人形遣いが多く住んでいたので人形町と名付けられたとされているが、人形町は通りの名であった。
関東大震災の時も東京大空襲の時も奇跡的に焼失を免れたので町のあちこちには、木造家屋が残り、路地や横丁が多く残っている。
江戸時代は花街として、明治以後は水天宮の門前町として賑った。
芝居の町 演芸の町に今も残る江戸の心が感じられる歴史の深い街です。
日本橋蛎殻町・浪花町・芳町・小網町・人形町がひとつになり、現在の人形町が誕生した。1933年(昭和8年)
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- 人形町郵便局
人形町1-5-10 (3669)3025
- 中央人形町二郵便局
人形町2-15-1 (3668)1860
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